結局、行き詰まるのはソレが「継続できるかどうか」2015.10.30

「孤独と自由は背中合わせ」というけれど、実際そのとおりだと思う。

 

孤独を一つ埋めれば不自由が一つ増え、

自由を一つ増やせば孤独が一つ増える。

 

今までわたしは孤独が怖くて不自由さばかりを増やしていた。

 

そして去年、その限界点を突破して、わたしは自由を選んだ。

 

これはどちらが良い悪い問題じゃない。

 

どちらにも一長一短がある。

 

そして、これこそが個々人の価値観だ。

 

だけど現実には「孤独も埋めて自由も欲しい」という人が多い。

 

自覚はなくても、それと同意のことを口にする人は多い。

 

もちろん、わたしだって両方手に入るのなら、それがいいに決まってる。

 

だけどそれを貫き通すということは、自分のワガママを通すということだ。

 

実際わたしは元夫との結婚生活に於いて、このワガママを通していた。

 

だけどそれは思っていたより、そんなに幸せなものじゃなかった。

 

むしろ一見すべてを手に入れているようで、実際には何も手に入れていなかった。

 

またそれらは元夫のガマンと犠牲の上に成り立っていたものだ。

 

そのことにかんしては、わたしにもかなりの非があると思っている。

 

だからわたしは元夫に感謝をすることで、

なんとか自分のココロをコントロールしようとした。

 

だけど結局、それはわたしのココロを病ませるだけだった。

 

ムリして感謝をすることは、わたしのココロを捻じ曲げるだけだった。

 

 

キモチを理屈でコントロールできたら、こんなに楽なことはない。

 

また現実にソレをし続けるのは難しい。

 

どんなことでも「一時的」にはできたとしても、難しいのはソレを「継続」することだ。

 

 

だからわたしはキモチを解放する選択をした。

 

孤独と不安が背中合わせになることがわかっていても。

 

わたしにソレを続けることはできなかったのです。

 

 

 


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