父の死後、時間が経つほどに知る・・・亡き父の真の偉大さ。2019.02.12

 

 

 

去年の10月に母が亡くなり、わたしの両親はふたりともこの世を去りました。

 

ちなみに父が亡くなってから、もうすぐで3年が経とうとしています。

 

古くから、わたしのブログをお読みくださっている方はご存知かと思いますが、

わたしと生前の両親のあいだには、さまざまな衝突があり、

親子関係もこじれにこじれて、どうしようもない状態のまま、父はこの世を去りました。

 

ですが、父が亡くなってからというもの、わたしは父の夢を見ることが増えました。

 

それはたぶん、自分がほんとうのひとりぼっちになってしまったように感じて、

寂しかったからだと思うのですが、それでも父に対する感謝はほとんどありませんでした。

 

ですが今回、母が亡くなったことで、わたしは亡き父に対して感謝することが多々ありました。

 

そもそも、よくよく考えてみれば認知症の母がいるのに(もっといえば身障者の弟がいるのに)

介護の苦労がいっさいないって、それだけでも父の偉大さゆえのことなんですよね。

 

詳細は書きませんが、父が遺してくれたものはもちろん、生前の父がどれほど自分の死後、

自分の妻や子どもたちに負担がいかないよう、また揉めることのないよう、

できうるかぎりのことを考え、準備してくれていたのかわかるほどに、父に感謝するばかり。

 

よく生前の父が冗談交じりに「父親が偉大すぎると、その偉大さがわからないんだなー」と、

わたしに向かって言っていましたが、今はその意味が、ほんとうによくわかります。

 

 

わたしと生前の父は衝突することが多く、また育った環境も、やや特殊な環境で、

いわゆる心があたたまるような、ほっこりした家庭ではありませんでした。

 

そういう意味では、今でもいわゆる「普通の家」に生まれたかったと思うことはあります。

 

ですが、介護や相続での苦労がまったくないことは、

ものすごくしあわせなことなんだと、わりといろんなひとたちから言われて、

自分にとってあたりまえのことが、実はすごいことなんだということに気づきました。

 

それは、やっぱり父の偉大さなんですよね。

 

そしてそれを自分の死後、時間が経つほどに娘に感じさせる父は、やはりすごいなと。

 

そんなふうに思ったんです。

 

 

わたしがアダルトチルドレンであることに、今も変わりはありません。

 

これは母方の祖母・母・わたしと、わたしが知るかぎり3代にわたって起きている連鎖なので、

たぶん一生、治らないんだろうなと思っています。

 

ですが、こうして父のことを冷静にかんがえる時間を持つことは、

少なくとも父が生きているあいだには、まず不可能だったこと。

 

奇しくも、わたしは今、完全に不倫の世界とは決別しましたが、

わたしが真に求めていたことは、たったひとつの愛情だったのだと、しみじみ思います。

 

そして、その愛情を求めていた父への誤解が解け始めた今だからこそ、

わたしのなかにも、まともな感覚が少しずつ芽生えてきたのかもしれません。

 

わたしがガチのメンヘラなことも、アダルトチルドレンであることも、

それいじたいは一生、変わらない事実です。

 

ですから、なにかふいにそのバランスが崩れたときには、

かんたんに心が病んでしまうことも、一生変わらない事実だと思います。

 

ですが、今回の父への感謝は、わたしにとって大きな変化のひとつでもあります。

 

そう考えたら、まだまだ時間はかかると思うけど、恋愛はもちろん、

さまざまな人間関係についても、被害者意識から脱出できる日は来るのかもしれません。

 

 

「愛されていないと思っていたひとから、実は誰よりも愛されていた」

 

 

この事実は、なによりも強い。

 

わたしの強烈なファザコンは、言ってしまえば母の女である部分から生まれた、

わたしへの強い嫉妬から生じてしまったものなのは事実だけれど。

 

そういう面もふくめて、この事実にたどり着いたことは、とても大きな収穫だと思います。

 

 


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