人との出会いには、どんなことにも意味がある。
そしてそれは、そのときはわからなくても、
時の経過とともに、いつかわかるときがくる。
☆
神さまがどうして、わたしとカナくんを再会させてくれたのか、
今のわたしにはまだわからない。
わからないけれど、わからないなりに感じていることはある。
その中で一番、感じていることは、
彼と出会ったときのわたしは、今のわたしとは違う、ということだ。
それはわたしが結婚をしてたか、していないかだけではなく、
ひきこもりニート主婦から一転して、
わたしは自分で稼がなければならなくなったということだ。
それもフリーランスとして。
これって人生の基盤そのものが変わったといえる。
離婚して、住む場所変えて、自分で仕事をつくっていく。
ここまでの大激変が起きて、あのころのわたしと同じはずがない。
だけど、カナくんは根本的に何も変わっていない。
もちろん、年齢とともに変わった部分はあるけれど、
根本的な生活ベースは何も変わっていない。
わたしは彼と会話をするたびに、それを実感する。
そして、いってみれば「お金を払う側」と「お金を稼ぐ側」という、
基本、真逆の人生を生きている人間同士の会話がズレるのは、
ごく当然のことなのだ。
☆
もちろん、それ以外にも会話はあるけれど、もともとわたしがカナくんに
ベタ惚れだから成り立っているこの関係で、ここまで大きな違いが生まれると、
どうしたって違和感は生まれてくる。
それでもわたしはカナくんが大好きだから、できるだけ彼と一緒にいたいと思うし、
いつか終わりの日がくるとわかってはいても、それはできるだけ先に延ばしたい。
だけれども、今わたしが彼との付き合いをつうじて学んでいることは、
「生きる世界が違う人間同士の会話は成り立たない」ということだ。
それと同時に、こうして今の自分と彼との現実を一つ一つ知ることでしか、
わたしはカナくんの亡霊から卒業できることができなかったからこそ、
神さまは、わたしと彼をふたたび引き合わせてくれたように感じるのだ。
もちろん、これは「今のわたし」が感じていることだから、
これが正解なのかはわからない。
ただ、こうして彼と再会しなければ、
少なくとも今の自分と彼が付き合ったらどうなるのか、
という現実を知ることができず、それは結果として、
いつまで経っても彼の亡霊を追い続けることから抜け出せなかっただろう。
つまり、わたし自身が彼をきちんと卒業するために、この過程は必要なのだ。
本当に本当に大好きだからこそ、一つ一つ現実を受け止め、ときに悩み苦しみ、
そうしたプロセスを一つ一つ踏まなければ、わたしは過去を清算できない。
そして今わたしはまさに、過去を一つ一つ、清算しているのだ。
今の自分と彼が、どれほど住む世界が違うのか、ということを。
☆
いつの日か、きっとわたしと彼の間には別れが訪れるだろう。
それは、どちらから口にするのかはわからないけれど、いつか終わりはくるだろう。
なぜなら、たとえば今、カナくんが独身だとしても、
彼と一緒に生きていくことはないだろうと思うからだ。
住む世界が違うということは、そのくらいまったく異次元の世界なのだ。
もちろん、そこに「好き」という想いがあれば、ある程度は、なんとかなるかもしれない。
けれども、それはいつしか、疲弊につながり、そして破たんする。
それは結婚をしている、していないにかかわらず、終わるものは終わる。
☆
誤解のないように言っておくけれど、
もちろんわたしはカナくんとの別れなんて望んでいない。
何度も言っているけれど、できることなら、これからもずっと彼と一緒にいたい。
けれどもそれは、けっしてオモテにでる関係ではなく、
続くとしてもそれはひっそりと続く。
そして、それはそれで、わたしはいいと思っている。
というよりも、それこそが、わたしと彼の関係に於いて、
ベストなカタチだということもちゃんとわかっている。
ただ・・・
価値観の違う二人が、交差することは難しい。
そしてそれは、いつしか気持ちが離れていく。
そんな未来もまた、見え始めているのです。
それが明日くるのか、一年後にくるのか、10年後にくるのかはわからないけれど。
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