孤独の恐ろしさを知っているからこそ、傍にいてくれるありがたみがわかる@たぶん、それはお互いに。2015.09.01

わたしがカナくんと再会して、いちばん助かったと思っているのは、

何よりも彼の存在がわたし自身を孤独から救ってくれたことだ。

 

それまでの経験で自分が結婚に向いていないことも、

また雇われて働くことも向いていないことが骨身にしみてわかっていたわたしは、

44歳の誕生日を目前にして夫と離婚し、念願だった東京へ帰ってくる選択をした。

 

それはもちろん自分自身が望んだことなのだから、何も不満はないけれど、

そこに寂しさと不安が常に背中合わせにあったのも事実だ。

 

だからこそ、わたしは確固とした何かが自分の中に欲しくて、焦ってばかりいた。

 

まぁでも得てして焦っているときの選択というのは、ロクなものがない。

 

そこに輪をかけて孤独感と恐怖や不安が波のように押し寄せてくるのだから、

こちらに来たばかりのころは念願かなって東京に帰ってこれた嬉しさの反面、

毎日が怖くて怖くて仕方がなかった。

 

いわゆる「安定したふつーの人生」を歩むことのできな自分自身に、

嫌気がさすこともたびたびあったし、今だってソレがないわけじゃない。

 

それでも今は「自分は、もう一人じゃない」と思える存在がいることで、

あのころとは、やっぱり精神的に全然、違うのだ。

 

 

 

 

人は孤独なときほど、正常な判断力を失う。

 

みずからの孤独を他者の姿に、自分勝手に重ねてしまい、

相手をも自分の側の不幸(と思いこんでいる)に道連れにしようとする。

 

その結果、まともな感覚をもった人は、自分の周りから離れていく。

 

だからこそ人は、そんな弱ったところに、あの手この手で甘言をささやく人たちに、

孤独なココロは惑わされ、また時として騙されてしまうのだ。

 

 

わたしは、その恐ろしさを自分の経験上、よく知っている。

 

他者を道連れにしようとする傲慢さも、他者に惑わされる弱さも。

 

 

 

 

わたしがカナくんと再会して、いちばんよかったと思っていることは、

彼がわたしを【絶対的な孤独感】から救ってくれたことだ。

 

もちろん、こんなふうに思えるようになるまで、ひとまず3ヶ月がかかったし、

これからも、またゆらゆら揺れるキモチとともに、彼とのことで悩み苦しむことはあるだろう。

 

だけど、どう考えても、わたしを絶対的な孤独から救ってくれるのは彼しかいない。

 

というか、彼しかいなかった。

 

それが今わたしが実感している、何よりの真実だ。

 

 

それは出会ってから12年という歳月の積み重ねはもちろん、

毎日、連絡をとらずとも、お互いの中にお互いが存在していることを

ちゃんと理解でき、また信じていられることが何よりも大きい。

 

もちろん、わたしのことを気にかけてくれている人たちが、

他にもいることはわかっている。

 

カナくんからしか愛されていないなんて、

そんな極端な発想を今のわたしは持っていない。

(過去には、そんなふうに思いこんでいたこともあったけども)

 

またカナくんにとって、彼の家族が何よりも優先され、

大事にされることもわかっている。

 

だからこそ、わたしは自分の未来を彼に縛りつけるつもりもない。

 

彼以外との未来がある可能性を、つぶすつもりなんて毛頭ない。

 

それは至極、当然のことだ。

 

 

だけれども。

 

おそらくこの先、彼ほどわたしを孤独から救ってくれる人がいないであろうことも、

今までの経験上、心のどこかでわかっている。

 

そこに幾ばくかの絶望感がないわけではないけれど。

 

そんな存在が、たった一人いるだけで、人は救われるのも事実なのだ。

 

 

少なくとも、わたしは彼のおかげで、さまざまな甘言に惑わされなくなった。

 

自分の弱さに、振り回されることがなくなったのだ。

 

結果、そこから自分自身に余裕が生まれた。

 

あのどうしようもない焦燥感から、ようやく解放されたのだ。

 

 

そしてこれは、たぶんなのだけれど。

 

きっと彼も、わたしによって、

彼のココロの底にある孤独感から救われているのではないか。

 

そんなことを思うのだ。

 

一見、孤独とは無縁に見える彼のココロの奥底に隠れた孤独感。

 

そんな彼の孤独感もまた、実はわたしの存在によって癒えているのではないか。

 

 

彼と再会して3ヶ月経った今、そんなふうに思うのだ。

 

 

 

 


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