先日、一年ぶりにいつもの場所へ桜を見に、彼が連れて行ってくれました。
ここの桜は近くにライトがあり、今年みたいにお花見防止でライトアップされていない場所が多くても、この桜だけは毎年キレイに撮影できるので、いつしかここの桜を見ることが、この季節の風物詩のようになってきました。
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わたしが今の街に移り住んで、そろそろ4年が経とうとしています。
「あれ?ここに引っ越してきてから、どれくらい経ったんだけ??」と考えたとき、年数を指折り数えないと把握できないくらい、パッと思い浮かばなくなってきました。
西洋占星術でみると、いまのわたしは「愛の改革期」の只中におり、事実この4年間はいいこともイヤなこともふくめて非常に濃密な経験をし、自分自身の恋愛観も少しずつですが変わってきています。
そもそもわたしがこの街に引っ越してきたのはヘルニアを発症し、日常生活がままならなくなったことがキッカケであり、それにともない、一時的ではありますが金銭的な苦労もしました。
正直あの苦労がなかったら、いままで自分がいかに恵まれた境遇で過ごしてきたのかわからなかったと思いますし、いまの境遇がどれほど恵まれたものなのかも、ほんとうの意味で理解できなかったと思います。
貧すれば鈍する、ということばの意味を、まさに身を以て経験しましたし、自分も他者もふくめ、そのひとの本質は追いつめられたときよりも、むしろ余裕のあるときに現れるものなんだと実感しました。
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わたしが彼と初めて出会ったのは2017年の11月の終わりで、彼からのアプローチで12月初めに付き合い始め、その2週間後にはヘルニアを発症し、年末年始は彼の家でお世話になるという怒涛の流れのなか、彼はまともに動けないわたしの面倒をみてくれました。
そこから仕事ができずに収入を得られなくなった、付き合い始めて間もないわたしに仕事を与えてくれ、一時的にわたしを彼の家においてくれました。
その後、わたしの母が他界し、相続が発生したことをキッカケに、わたしは近くのアパートに引っ越し、投資家としての人生を歩み始めたわけなのですが、このへんの流れはほんとうに「おうし座天王星」の影響を強く受けているなと思います。
生来、甘ったれのわたしは、おそらく「独立分離・革命」の星である天王星がとても苦手なんだと思います。
けれども、わたしの人生に大きな変化が生まれるときは、必ず天王星の影響が色濃く強く反映されており、どんなに苦手なことでもその流れからは逃げられないのだなと、つくづく思います。
そしてその強い影響のひとつが、彼との出会いなのだなとも。
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わたしが彼と出会った2017年の終わり、彼からのアプローチで付き合う流れの中、わたしはあたまのなかで「ああ、これはもしかしたら、2018年の5月におうし座へ移動する天王星タイムのプロローグなのかもしれない」と思ったことをよく覚えています。
厳密にいうと、5月におうし座へ入座した天王星は逆行でふたたびおひつじ座へ戻り、本格的におうし座へ入座したのは2019年3月になるのですが、とにかくおうし座天王星タイムの始まりがこの出会いなのかもしれないと、あたまのなかでなんとなく思ったのです。
事実、結果として、わたしは2018年の5月に彼の家に居候というカタチでいまの街に住民票を移し、2019年の3月にはいまのアパートに住んでいましたから、あのとき思ったことは間違いではなかったのだなと思います。
そして彼の存在そのものが、わたしの苦手な天王星だったのだなということを、歳月を重ねるほどに思います。
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彼はやさしいひとではありますが、おそらくそれは世間一般でいうところのやさしさではないと思います。
むしろ「冷たいひと」だというひともいるかもしれませんし、自分勝手なところを差し引けば、もしかしたらそのやさしさよりも欠点のほうが浮き彫りになるひとかもしれません。
わたしは彼のことが好きですし、彼と結婚したい想いがないわけではないのですが、彼と一緒にいることはある種の苦行ともいえます。
なにより彼の自分勝手さに振り回されることが前提なのですから、ストレスになることももちろんあります。
また彼がパートナーに求めることを、わたしは満たすことができません。
それは一般的な女性であれば誰でもできることなのかもしれないけれど、わたしにはそれができないのです。
朝早く起きて食事をつくって相手を送り出す。
こんなあたりまえのことが、わたしにはできない。
朝起きるのはつらいし、自分の好きなペースで生活できないことは、わたしにとってものすごいストレスになる。
そしてそんなわたしと生活をともにしたら、彼にとってそれは大きなストレスになる。
だから根本的に合わないだろうなと思うのです。
好きとかそういう感情を抜きにして。
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おうし座天王星タイムは2026年まで続きます。
またそのあいだにはほかの天体との絡みもあって、より強力なスポットがあたる時間もあるでしょう。
その時間のなかで、わたしや彼に、少しずつでも変化が起きるのか。
それとも、それぞれ新たな道を歩みはじめる出会いがあるのか。
それはわたしにもわかりません。
ですが、自分の年令を鑑みても、このおうし座天王星タイムは、わたしの残りの人生の軸のひとつを構築することになるでしょう。
晩年をどんなパートナーとどう過ごすのか?ということは、少なくともわたしにとっては大切なことのひとつです。
もしかしたらパートナー不在の寂しい晩年になるかもしれない。
けれども、どんな結果になろうとも、わたしは自分の求めるしあわせを追求していきたいのです。
そしてそれは意外と、パートナーの有無にこだわる必要のないことなのかもしれない。
そのへんがまだ自分のなかでよくわかっていないので、どうしてもいろいろ考えてしまうのだけれど、少なくともいまの時間は、愛について思いっきり悩み考え、新たな人生観を培っていく時期なことは間違いないので、とことん向き合っていこうと思います。
どんな結果になるかはわからないけれど、少なくとも彼はわたしの苦手なこと、欠けている部分に必要なことを教えてくれる存在であることは間違いないから。