【MOELOG】「上達したい」という気持ち。2020.07.12

こんにちは、菅野萌です。

 

今日わたしが住む街は久しぶりに晴れ間がのぞくお天気で、ようやくシーツ類が洗えると朝から洗濯機をまわしていました。

 

雨は必要なものだけど、こうも毎日雨がつづくとほんとうにウンザリしてきます。

 

しかも九州などは豪雨の被害がでてますしね、、、

 

個人的にコロナと豪雨の組み合わせは想定どおりではあるのですが、実際に被害にあわれている方たちは心が折れるような想いをされていることと思います。

 

とにかく少しでも早く、この状況がおさまってくれることを祈るばかりです。

 

 

さて、こちらの記事でも書きましたが、いまのわたしには3つの顔があります。

 

【MOELOG:ほしよみ雑記】やぎ座の月食で定まったこと。

 

そのなかでも、いまのわたしのいちばんのメインの顔は投資家の顔です。

 

わたし自身、なによりもこの部分に時間と労力を割いています。

 

と、こんな言い方をするとなんだかすごそうですが、まだまだ投資家2年生のわたしには勉強の毎日で、自分の才能とセンスのなさにウンザリすることばかりで、ときに絶望的な気分になることすらあります。

 

ご多分に漏れずコロナショックで大損もしましたしね。

 

それこそ小さな失敗なんて、ほんとうにイヤになるほど日常茶飯事です。

 

 

正直「自分に投資は向いてないのかな・・・やめたほうがいいのかな・・・」と思ったことも何度かあります。

 

でも最終的に本気でやめようとは思わなかったんですよね。

 

 

一時期は、いっさい売買をせずに、ひたすら相場を眺めているだけの日々もありました。

 

ですが、ツイッターで参考にさせていただいている投資家さんたちのツイートや、そこから派生して生まれた投資家仲間のツイートを見ていると、やっぱりどうにかしてマーケットから退場させられないようにしようと思ったんです。

 

 

【わたしは長くマーケットにいたい。退場させられたくない。そのためにはどうすればいいのか?】

 

 

そこに思考が移っていったんです。

 

そしていろんなひとのツイートを参考にしたり、自分で調べて考えたり、相場を眺め、チャートを眺め、そして実際の売買で失敗(損失)を繰り返すたびにわかったんです。

 

 

わたしはヘタクソなんだと。

 

投資家としての腕は三流以下なんだと。

 

 

そのことに気づいたとき、わたしのなかに生まれてはじめての感情が生まれたんです。

 

 

「(売買取引ふくめ)相場がうまくなりたい」と。

 

 

これはつきつめていけば「損したくない」「儲けたい」ということにつながります。

 

株式相場の取引をするのですから当然のことです。

 

でもそれはあくまでも「相場がうまくなった結果」に付いてくるものであって、わたしがもとめているのはそこではないんです。

 

とにかく「うまくなりたい」んです。

 

絶望的すぎるほどに相場の才能もセンスもなく、売買取引もヘタクソな自分の腕を、どうにかして少しでも上達させたいと思ったんです。

 

 

実はわたし、いままでなにかに対して「うまくなりたい」と思ったことがないんです。

 

すべてはテキトーなところで、ある程度できればいいやとか、自分に向いていないものは最初からパスとか、そんな感じでずっと生きてきたんです。

 

「言われたことを言われたとおりにしておけばいい」というのがデフォで、向上心というものがまったくなかったんです。

 

だから何をやっても続かないし、すべてが中途半端。

 

それがわたしのいままでの人生だったんです。

 

 

そんなわたしが生まれてはじめて「うまくなりたい」と思ったのが相場でした。

 

正直、こんな感情を抱いたことがないので、自分でもこの感情が、どんなふうに変化していくのかわかりません。

 

だけど少なくとも「絶対にやらなければならない」ことではなく、ましてや誰かに言われているわけでもないのに、こうした感情が生まれたということは、きっと相場と向き合うことは、これからのわたしの人生に少なからず寄与してくることだと思うんです。

 

 

だって、やめたくないんだもの。

 

マーケットに長くいたいんだもの。

 

退場させられたくないんだもの。

 

 

だったら、うまくなるしかない。

 

そう思ったんです。

 

 

思うに、少し前までのわたしは「損したくない」「お金を増やしたい」「願わくば大儲けしたい」という気持ちに囚われていました。

 

でも、それがすべての敗因だったんですよね。

 

そういうのも相場の格言として聞いたことはあるけれど、ようやく自分のなかで、こうした格言の意味を少しだけ落とし込むことができたように思います。

 

 

そしてたぶん・・・たぶんだけど・・・

 

たぶんわたしは亡き父と同じように、死ぬまで相場と一生、付き合っていくのだと思います。

 

たぶんね。

 

 

 

 


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