これからは個人のサイトということで。2023.05.24

先日、長年Facebookをフォローさせていただいているとある方が、これからはSNSではなく個人のサイトの時代なので、最近はブログに日記を書いている(要約)とおっしゃっているのを見かけた。

 

わたし自身もソレをなんとなく感じていたのと、ときどきブログを書こうかなと思いつつ、以前のような内容を書く気にもならずに長らく放置していたこのブログに日記を書こうかなと思いついた。

 

といっても必ず毎日書くというわけではなく、ただSNSだと流れてしまう内容を自分のなかで書き留めておきたい、また下書き状態のSNSの内容をブログに書くことで、頭のなかを整理させるというのが目的なので、あまり読み手の方を意識した内容にはならないかもしれない。

 

またこのブログはパソコンからしか更新したことがなかったのだけど(パソコンのブラインドタッチで書くほうがラクだったから)、最近はパソコンよりiPhoneのほうが手軽になんでもできるので、まずは試しにとこの記事を初めてiPhoneから投稿している。

 

ということで、まずはテスト投稿。

 

 

 


結婚すべき相手とは2022.04.30

こんにちは、菅野萌です。

 

いまわたし、NHKで放送されている「正直不動産」というドラマを観ているんですが、先日、そのドラマの中でとてもこころに響く言葉があったんです。


 

 

それは山下智久さん演じる永瀬財地が、結婚について祖母から言われたという言葉で

 

【この人なら一緒に暮らせそうと思う人と結婚するのではなく、この人がいないと生きていけないと思う人と結婚しなさい】

 

というものなんですが、過去に二回の離婚と結婚式のドタキャンというバツ2.5のわたしのこころには、かなり響くものでした。

 

というのも、わたしは過去の3人の男性に対して、まさに「この人となら一緒に暮らせそう」という基準で結婚という選択をしたからです。

 

逆に言うと、「この人がいないと生きていけない」なんてカケラも思っていなかったのです。

 

そしてそれを当時のわたしは、賢明な選択だと思っていました。

 

その結果、バツ2.5という身上になったわけですから、賢明どころか愚かな選択をしたということにほかならないのですが。

 

 

よく結婚と恋愛は別だと言いますし、実際そのとおりなんですが、それは好きな人と結婚することが前提になければ、やっぱりいろいろおかしなことになるんですよね。

 

「結婚相手を条件で選ぶ」なんてのはその典型で、もちろん結婚生活を成り立たせるための基盤は大切ですし、必要なものなのですが、気持ちより先にソレがきてしまうと、その条件が崩れたとき夫婦関係が破綻するのは、ほんとうによくある話です。

 

長い人生、最初に思い描いたとおりの結婚生活が続くなんて、ほぼほぼ不可能なわけで、人生のさまざまな変化をともに乗り越えていけるのは、やっぱり相手に対する気持ちがないとむずかしいんですよね。

 

実際わたしは、そうした気持ちが相手に対してなかったから、結果バツ2.5という身上になったわけで。

 

だからこそ、この言葉がとてもこころに響いたんです。

 

 

人間、いろんな「好き」がありますから、こころのなかに好きな人が多くいることは不思議なことではありません。

 

たとえ結婚をしていても、気持ちのなかで配偶者以外のひとを想うことも、長い人生のなかではあるでしょう。(行動に移すかどうかは別として)

 

けれども、「この人がいないと生きていけない」と思う相手は、そうそう出会えるものではありません。

 

仮にそう思ったとしても、それは愛情ではなく、相手に対する執着であることも、現実にはよくある話です。

 

そしてたぶん、もしそう思う相手と出会った場合、おそらくそれはどちらか片方がそう思うのではなく、互いに相手を必要としあう関係だと思うのです。

 

たとえその過程が山あり谷ありの、でこぼこ道であったとしても。

 

 

わたし自身は若かりしころから結婚に対して歪んだ考えを持っていたので、過去に失敗ばかりを繰り返してきました。

 

けれども、この言葉を聞いて、ようやくハッキリわかったのです。

 

わたしが結婚すべき相手は、いまの彼なのだなと。

 

過去にさんざん回り道をして、失敗を繰り返してきたけれど、そのおかげでようやく結婚の本質に気づけたのだなと。

 

この言葉は、わたしのなかにあった迷いや雑念を払拭してくれました。

 

それはモヤのかかった霧が晴れたように、わたしの心に大きな光を与えてくれたのです。

 

 


 

 


熟年離婚をする心理と現実2022.04.25

こんにちは、菅野萌です。

 

実はわたし、この半年ほどで身近なひとから二組の熟年離婚の話を聞いたんです。

 

ちなみにどちらのご夫婦も70代で、どちらのご夫婦も奥さんのほうから別れを切り出したらしいんです。

 

いわゆる「嫁に捨てられた」ってヤツですね。

 

わたし自身、過去に二回の離婚と結婚式のドタキャンというバツ2.5であり、またそれらすべてがわたしの方から別れを切り出しているので、女性側の気持ちがわからないことはありません。

 

むしろ70代に入ってから離婚を決断するということは、本当に別れたかったんだろうなと思います。

 

そしてそれはそう思わせた旦那側の責任であるので、捨てられた旦那さんがかわいそうだなんて微塵も思いませんし、もっと言うならば、それがお前の生き様なんだよくらいにしか思いません。

 

基本、女が別れを告げるのは200%男が悪い。

 

 

でもね、現実のわたしはまだ50代に入ったばかりなので、70代に入って離婚をするという気持ちは正直、よくわかりません。

 

わたしの感覚でいうと、晩年をひとり寂しく過ごさないために、またその相手が誰でもいいわけではないからこそ、早め早めの選択で、わたしは離婚をしてきたわけです。

 

むしろ熟年離婚をしたくなかったからこその離婚。

 

真に生涯をともにできる相手と出会いたいからこその離婚。

 

もちろん、そこには子どもの有無も関係してきますから、わたしに子どもがいなかった(つくらなかった)というのは大きな要素です。

 

ですが、お子さんがいる場合、子どもが成人するまでは・・・というのを差し引いても、70代に入っての離婚は子どもの有無を超えたものがあると思うのです。

 

おそらくそこには「死」がリアリティをおびた現実が見えてきて、「残りの人生、このまま終わるなんて冗談じゃない」という想いが少なからずあると思うのです。

 

あくまでも想像の範囲ではあるのですが。

 

 

先程も書いたように、わたしの感覚でいうと、70代で離婚をするって、ふつうの感覚じゃない。

 

「まぁいろいろあったけど、なんだかんだでここまで一緒にきたんだから、このまま最期まで一緒にいよう」と思うのが、ふつうの感覚。

 

それを超えて離婚を決断するというのは、もう本当に嫌なんでしょうね、旦那さんと一緒にいることが。

 

そして、そういう想いは年齢を重ねて風化するなんてことはなく、むしろ死が近づくことによって、より強くなるものなのかもしれない。

 

 

でも現実問題、どうせ離婚をするのなら、もっと早くすればよかったのにと、わたしは思ってしまう。

 

まぁなかなかできない現実があったのかもしれないけど、でも70代に入ってから離婚をするって、かなりパワーがいるし、やっぱり若いときの離婚よりもいろいろ大変だと思う。

 

それこそ住む場所ひとつとっても、老人の一人暮らしが部屋を探すのは本当に大変。

(実際、話を聞いたかぎりでは、やっぱり大変そうだったし、もしわたしが大家さんだったら、老人の一人暮らしに部屋を貸したいなんて思わない)

 

そう考えると、結論を先延ばしにしてもいいことなんてひとつもないし、どんなに遅くとも50代のうちには白黒ハッキリつけておかないと、のちのち「こんなに大変な想いをするなら、もっと早く、ちゃんとケジメをつけておけばよかった・・・」と後悔することも十二分にあり得るな、と思いました。

 

それにしても、いまの70代はアグレッシブ!!

 

 

 


【MOELOG】早いもので1月ももう半分が過ぎました。2022.01.15

こんにちは、菅野萌です。

 

こちらのブログを投稿しなくなってどれくらい経つんだろう、、、と確認してみたところ、前回の投稿って去年の4月なんですね(笑)

 

現在の主軸は投資家としての人生なので、とくにブログを書く必要がないと、どんどん放置してしまうというサイクルにすっかりハマってしまいました。

 

とはいえツイッターやFacebookでは、日々のできごとや考えなどをダラダラと書いてはいるので、発信活動というかネットに記録を残すということじたいは続けているんですけどね。

 

それでもこうして久しぶりにパソコンを立ち上げてブログを書き始めてみると、やはりブログとSNSは違うものだなぁ・・・と、あらためて感じています。

 

 

さて先ほども書いたように、いまのわたしは投資家としての人生が主軸なので正直、菅野萌としての活動は開店休業状態ではあります。

 

とはいえ、わたし自身、自分の人生を生きていくうえで占いは常に活用していますし、恋愛ふくめた自分自身の人生をどう生きていくかについて考えることは、わたしのライフワークともいえます。

 

また年齢という節目に於いても、去年の年末、わたしもとうとう50歳になり、ここから人生後半をどう生きていくのか?ということが現実的なものとなってきました。

 

わたし自身、早死家系なことと併せて、紫微斗数の命盤をみると「もしかしたら50代で死ぬこともあるかもしれないなぁ・・・」なんて思わなくもありません。

 

もちろん、しんどい50代をどうにか乗り越えて(紫微斗数でみるとわたしの50代は、なかなかしんどそうだなと思う命盤をしているのです)、60代、70代と人生が続く可能性もあります。

 

ただひとついえることは、あきらかに「死」というものに向かって、着々と進んでいるということ。

 

その事実がとてもリアリティあるものに感じる年齢になったことは、間違いないのです。

 

 

さてわたしはここからどんな方向へ進んでいくのだろう。

 

「死」にリアリティを感じる年齢になったとはいえ、まだまだ長生きする可能性だってあるわけで、それはできることなら楽しく幸せなものでありたい。

 

じゃあそのためには、どうすればいいのか?

 

思えばわたしは、ずっとそのことを考え続け、また占いを活用し続けてきました。

 

それはこれからも変わることのない、わたし自身の生き方であり、ライフワークでもあります。

 

またわたしの人生には常に恋愛があり、そちらのほうでもさまざまな経験をし、いまもそれは進行形で続いています。

 

恋と仕事と人生は、わたしにとっては切っても切り離せないもの。

 

仕事というのは、なにもお金を稼ぐことだけではありません。

 

自分の生活のなかに規則正しく組み入れられるのもの。

 

それらすべてがわたしにとって「生きる」ということにほかなりません。

 

そんないまのわたしの主軸である「占い×男女×投資」の3つは、おそらくこれからも変わることなく、わたしの人生の三本柱としてしっかりと根を下ろし、これからも大きく成長していくことと思います。

 

そのなかでブログ更新という発信活動は、やはりわたしにとって必要であり不可欠なものであると思うのです。

 

とくに集客を意識するわけではなく。

 

とはいえ、もしわたしの発信活動をつうじて「萌さんに相談してみたい」「萌さんと話してみたい」というひとがいてくれたら、それはとてもうれしい。

 

そんな感じで、またここからゆるゆるとブログとの付き合いも復活させていけたらと思っています。

 

 

 


【MOELOG】いつもの桜2021.04.03

先日、一年ぶりにいつもの場所へ桜を見に、彼が連れて行ってくれました。

 

 

 

 

 

 

ここの桜は近くにライトがあり、今年みたいにお花見防止でライトアップされていない場所が多くても、この桜だけは毎年キレイに撮影できるので、いつしかここの桜を見ることが、この季節の風物詩のようになってきました。

 

 

わたしが今の街に移り住んで、そろそろ4年が経とうとしています。

 

「あれ?ここに引っ越してきてから、どれくらい経ったんだけ??」と考えたとき、年数を指折り数えないと把握できないくらい、パッと思い浮かばなくなってきました。

 

西洋占星術でみると、いまのわたしは「愛の改革期」の只中におり、事実この4年間はいいこともイヤなこともふくめて非常に濃密な経験をし、自分自身の恋愛観も少しずつですが変わってきています。

 

そもそもわたしがこの街に引っ越してきたのはヘルニアを発症し、日常生活がままならなくなったことがキッカケであり、それにともない、一時的ではありますが金銭的な苦労もしました。

 

正直あの苦労がなかったら、いままで自分がいかに恵まれた境遇で過ごしてきたのかわからなかったと思いますし、いまの境遇がどれほど恵まれたものなのかも、ほんとうの意味で理解できなかったと思います。

 

貧すれば鈍する、ということばの意味を、まさに身を以て経験しましたし、自分も他者もふくめ、そのひとの本質は追いつめられたときよりも、むしろ余裕のあるときに現れるものなんだと実感しました。

 

 

わたしが彼と初めて出会ったのは2017年の11月の終わりで、彼からのアプローチで12月初めに付き合い始め、その2週間後にはヘルニアを発症し、年末年始は彼の家でお世話になるという怒涛の流れのなか、彼はまともに動けないわたしの面倒をみてくれました。

 

そこから仕事ができずに収入を得られなくなった、付き合い始めて間もないわたしに仕事を与えてくれ、一時的にわたしを彼の家においてくれました。

 

その後、わたしの母が他界し、相続が発生したことをキッカケに、わたしは近くのアパートに引っ越し、投資家としての人生を歩み始めたわけなのですが、このへんの流れはほんとうに「おうし座天王星」の影響を強く受けているなと思います。

 

生来、甘ったれのわたしは、おそらく「独立分離・革命」の星である天王星がとても苦手なんだと思います。

 

けれども、わたしの人生に大きな変化が生まれるときは、必ず天王星の影響が色濃く強く反映されており、どんなに苦手なことでもその流れからは逃げられないのだなと、つくづく思います。

 

そしてその強い影響のひとつが、彼との出会いなのだなとも。

 

 

わたしが彼と出会った2017年の終わり、彼からのアプローチで付き合う流れの中、わたしはあたまのなかで「ああ、これはもしかしたら、2018年の5月におうし座へ移動する天王星タイムのプロローグなのかもしれない」と思ったことをよく覚えています。

 

厳密にいうと、5月におうし座へ入座した天王星は逆行でふたたびおひつじ座へ戻り、本格的におうし座へ入座したのは2019年3月になるのですが、とにかくおうし座天王星タイムの始まりがこの出会いなのかもしれないと、あたまのなかでなんとなく思ったのです。

 

事実、結果として、わたしは2018年の5月に彼の家に居候というカタチでいまの街に住民票を移し、2019年の3月にはいまのアパートに住んでいましたから、あのとき思ったことは間違いではなかったのだなと思います。

 

そして彼の存在そのものが、わたしの苦手な天王星だったのだなということを、歳月を重ねるほどに思います。

 

 

彼はやさしいひとではありますが、おそらくそれは世間一般でいうところのやさしさではないと思います。

 

むしろ「冷たいひと」だというひともいるかもしれませんし、自分勝手なところを差し引けば、もしかしたらそのやさしさよりも欠点のほうが浮き彫りになるひとかもしれません。

 

わたしは彼のことが好きですし、彼と結婚したい想いがないわけではないのですが、彼と一緒にいることはある種の苦行ともいえます。

 

なにより彼の自分勝手さに振り回されることが前提なのですから、ストレスになることももちろんあります。

 

また彼がパートナーに求めることを、わたしは満たすことができません。

 

それは一般的な女性であれば誰でもできることなのかもしれないけれど、わたしにはそれができないのです。

 

 

朝早く起きて食事をつくって相手を送り出す。

 

 

こんなあたりまえのことが、わたしにはできない。

 

朝起きるのはつらいし、自分の好きなペースで生活できないことは、わたしにとってものすごいストレスになる。

 

そしてそんなわたしと生活をともにしたら、彼にとってそれは大きなストレスになる。

 

だから根本的に合わないだろうなと思うのです。

 

好きとかそういう感情を抜きにして。

 

 

おうし座天王星タイムは2026年まで続きます。

 

またそのあいだにはほかの天体との絡みもあって、より強力なスポットがあたる時間もあるでしょう。

 

その時間のなかで、わたしや彼に、少しずつでも変化が起きるのか。

 

それとも、それぞれ新たな道を歩みはじめる出会いがあるのか。

 

それはわたしにもわかりません。

 

ですが、自分の年令を鑑みても、このおうし座天王星タイムは、わたしの残りの人生の軸のひとつを構築することになるでしょう。

 

 

晩年をどんなパートナーとどう過ごすのか?ということは、少なくともわたしにとっては大切なことのひとつです。

 

もしかしたらパートナー不在の寂しい晩年になるかもしれない。

 

けれども、どんな結果になろうとも、わたしは自分の求めるしあわせを追求していきたいのです。

 

そしてそれは意外と、パートナーの有無にこだわる必要のないことなのかもしれない。

 

そのへんがまだ自分のなかでよくわかっていないので、どうしてもいろいろ考えてしまうのだけれど、少なくともいまの時間は、愛について思いっきり悩み考え、新たな人生観を培っていく時期なことは間違いないので、とことん向き合っていこうと思います。

 

どんな結果になるかはわからないけれど、少なくとも彼はわたしの苦手なこと、欠けている部分に必要なことを教えてくれる存在であることは間違いないから。

 

 

 


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