★菅野萌の半生の紹介★

 

【菅野萌・すがのもえ】個人投資家・W不倫専門カウンセラー

 

1971年12月27日 17時過ぎ 前橋で生まれる。

 

厳格な父とヒステリックな母親のもと、
株と宗教に縁のある少し特殊な家庭環境で育つ。

 

 

 幼少期~高校時代 

 

幼いころから両親の過干渉にうんざりしており、
高校を卒業したら進学で上京し家を出ることを目標に
小学、中学、高校時代を過ごす。

(ちなみにわたしに生まれて初めての彼氏ができたのは高2の冬のこと。

そしてこの彼氏こそが、わたしの初体験の相手デス。)

 

 

 高校卒業後~上京 

 

高校卒業後、希望どおり専門学校に進学と同時に上京。
念願の一人暮らしを始める。(ここからわたしの華麗なる(?)男性遍歴が始まる)

 

まず最初は社会人2年目に婚約するも、他に好きな男性が出来てしまい、
散々迷った挙句、結婚式の招待状を出した後にドタキャンをして破談にしてしまう。

 

 

 婚約破綻~結婚まで 

 

その後ドタキャンの理由になった男性(仮にAさんと呼ぶ)とは
また別の男性(仮にBさんと呼ぶ)との間で意図的に妊娠。

(これは当時、Aさんとの結婚を望んだわたしが、

Aさんに結婚の意思がないとわかったため(当時Aさんは大学4年生)、

結婚に逃げたかったわたしが、わたしに好意を寄せるBさんを利用しただけ)

 

お互い合意のもとでの妊娠だったとはいえ、冷静に考えた結果、
経済的理由から堕胎したものの、心身ともにキズモノになってしまったと
強く思い込んだわたしは、結果的に当初の狙いどおりBさんと結婚。
(当時わたしは24歳、Bさんは20歳)

 

 

 不倫、そして離婚 

 

Bさんは美容師見習い、わたしはコンビニのバイトで生計を立てるものの、
基本的に金銭面では両親からかなり甘やかされて育っていたわたしは、
その生活に不満を感じ始め、ストレス解消のためにバイト先の男の子や
お客さんや店長(雇われ)と身体の関係をもつようになる。

 

そこでようやく「自分は、まだ女としてイケる!」という自信を取り戻し、
「人生をリセットするならこれが最後のチャンスだ」と思い、27歳のときに離婚。

 

 

 東京から実家のある前橋へ 

 

ただし離婚後はバイトの収入では生活が成り立たないという理由で、
大好きだった東京を泣く泣く離れ、多大な借金(主にわたしの買い物と
Bさんとの結婚生活で一緒に通っていたパチスロで作ったもの)とともに、
実家のある前橋へ。(パチスロはBさんとの離婚と同時に卒業しました)

 

※ちなみに当時のわたしがハマったのはニューパルサー。

ニューパルのカエル、かわいいよね?(笑)

 

 

 29歳の家出 

 

実家に戻り父親による借金の清算でキレイな身になったあと、

(わたしは過去にも何度か、自分の借金を両親に清算してもらっている)
(借金の半額はBさんが約1年かけて、わたしに振り込み返済してくれました)
「とにかく正社員で働け」という父の言葉のもと、前橋で就活をしてみたものの、
なかなか就職が決まらず、お鮨屋さんのバイト、コンビニのバイトをしながら
親のすねをかじって生活をしていたのだが、あるとき実父と激しく衝突。

 

その衝突での父親とのやりとりに、どうしても耐えられなかったわたしは、
齢29にして突発的に家出を決行。(これがわたしのサターンリターン)

 

 

 2回目の結婚 

 

当時わたしに好意を持っていた男性を頼りに、彼の家へ転がり込む。

 

わたし自身は彼のことを好きでも嫌いでもなかったが、
自分が生きていくためにはここにいるしかないという判断を下し、
家出をした約3か月後の2001年1月に彼と結婚。

 

正直言って夫となった彼をまったく好きではなかったので、
(このことは結婚する前に夫となる彼に正直に話した)
夫に感謝をすることで自分のキモチを何とかコントロールしていたのだが、
結果的に精神がどんどん病んでいき完全な引きこもり状態に陥り、
毎日パソコンの前に座り続けインターネットの世界にハマっていく。

 

 

 9年間に渡るW不倫 

 

そんなネットに入り浸りだった2003年~2004年。

 

某SNSサイト(現在は閉鎖されています)を通じて一人の男性と知り合い、
東京でのオフ会→デートの流れで、夫への罪悪感を感じつつも男女の関係になり、
ここからこの男性との約9年にわたる前橋と東京間の遠距離W不倫がスタート。

 

9年という長い月日の間には途中で1年ほど別れたこともあったし、
わたし自身のアトピーが激悪化して闘病生活を余儀なくされ、
まったく会えない時期もあったし、夫との間には深刻な離婚騒動が2度ほどあり、
とくに2度目の離婚騒動時には夫に彼の存在がバレてしまったのだが、
(ちなみに離婚騒動になった原因は彼のことがバレたからではありません)
「二人とも必要」と泣いて訴えるわたしの主張を夫がやむなく受け入れ、
夫と離婚もせず彼とも別れず・・・という状態がしばらく続く。

 

 

 紫微斗数との出会い 

 

ところが2012年の5月。

 

W不倫相手の彼の奥さんにわたしのメールが読まれるという
不測の事態がおきてしまい、軽いパニック&追い詰められた状態の彼から
「しばらくおとなしくするから、もう連絡をしてこないで」と言われてしまう。

 

青天の霹靂(へきれき)&彼を失うことなんて考えられなかったわたしは、
文字どおり藁をもすがる思いで占い好きな知人に相談をもちかけ、
それをキッカケに紫微斗数という占いを知る。

 

その後、東京でプロの占い師に紫微斗数による鑑定をしてもらったのだが、
この鑑定が想定外にひどかった。

 

こちらの話もきちんと聞かずに「不倫」というキーワードで一括りにして、
わかったふうな上から目線でエラそうにお説教をされ
(注:世の中のすべての占い師の方がそうだというわけではないです)
本当にイヤな思いをさせられたのだが、それと同時に

 

「確かに紫微斗数という占いは、おもしろい。確かにこれは使える占いだと思う。
でも何かあるたびに、こんなヤツに交通費をかけてわざわざ会いに来て、
そのうえ高いお金を払って毎回毎回イヤな思いをして、上から目線でエラそうに、
そしてめんどくさそうに言われるくらいなら、いっそのこと自分で覚えた方が早い」

 

と帰宅途中の電車で思い、さっそく独学で勉強を始めるものの、
間もなく独学に限界を感じる。(早い)

 

 

 占い師としての歩みだし 

 

そこでひととおりの基礎知識を身につけるためには、
頭を下げることも時には必要だと判断し、
前橋から東京まで通って複数の占い師の方たちの個人レッスンを受け、
さらに興味のあるセミナーやワークショップ、研究会などにも参加をして
勉強を進めながら同時進行で友人、知人のツテをフル稼働して頼みこみ、
半年の間に150人以上の紫微斗数による無料鑑定を実践。

 

 

 プロの占い師へ 

 

それらの無料鑑定を通じて周囲からの後押しなどもあり
プロの占い師になることを決意し、最初はいわゆる占い師として
地元・前橋で活動を始めるものの、イマイチパッとしない日々が続く。

 

 

 W不倫専門占いカウンセラーとして 

 

そこで、みずからの経験を活かして2014年1月より
W不倫専門占いカウンセラーとして活動を始めたところ、
日本全国のダブル不倫に悩む方たちから鑑定の予約が入るようになる。

 

 

 2回目の離婚 

 

そうした鑑定の現場をつうじて、
いろんな方たちのご相談をお受けしているうちに、
前橋での活動に限界を感じ、東京へ進出することを考えるが、
夫の理解を得られず、2014年11月に離婚。

 

 

 再び東京へ 

 

2014年12月より東京に活動拠点を移す。

 

以降、W不倫を中心とした不倫相談・カウンセリングに力を入れている。

 

 

2017年5月「世界にただ一つの奇跡」菅野萌のツインレイリーディングをリリース。

 

2018年1月:楽天占い「2018年オススメ注目パワースポット」コラム執筆

 

2018年5月より、恋愛・出会い・婚活に悩む女性の無料占い・コラムサイト

「さち♡こい」にて不定期コラム連載。(菅野萌のコラムページはコチラ

 

 

【星による自己紹介】

 

紫微斗数:【命宮】武曲・七殺・龍池 【身宮:遷移宮】天府・禄存

四柱推命:【日柱】丙戌 【月支元命】正官

宿曜占星術:昴宿

西洋占星術:【太陽星座】やぎ座 【月星座】おうし座

 

 

Top