【MOELOG】一生つづく、ということ。2021.04.09
こんにちは、菅野萌です。
先日からブログ更新を再開し、昨日からは文字のブログにつづいて音声ブログの更新も再開したのですが、やはりブランクがあると感覚が鈍るなぁ・・・ということを実感しています。
数年前までは「菅野萌といったら音声コンテンツ!!」というくらい、あたりまえのように更新していたものなのに、やらなくなるとほんとうに感覚って鈍るものなんだなと思います。
とはいえ、菅野萌のブログを再開するとなったら音声なくして語れません。
文字のブログとあわせて、音声ブログの感覚を取り戻せるよう、あまりあいだを開けずに更新していこうと思っています。
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さて人間、なにか新しいことを始めるときや、長いあいだサボっていたことを再開するとき、必要以上に気負ってしまうことがあります。
もちろん、ある程度の課題を自分に課すことは(そしてその段階を少しずつ上げていくことは)とても大切なことなのですが、ヘンにがんばらなきゃ!!と気負いすぎた結果、空回りして終わってしまうことも少なくありません。
そもそも人間の決意ほどアテにならないものってないですからね。
決意というのは言ってしまえば「一時的な感情の高まりがピークに達したもの」ですから、そこからは下がる一方なんです。
3日坊主なんてのは、まさにその典型でしょう。
そしてわたしはこどものころから、3日坊主の天才でした。
とにかく最初だけは気合が入っているけど、そこがピークであとは下がるだけ・・・
幼いころからその繰り返しで、なにをやってもモノにならなかったことばかりです。
ですが、ブログ更新にかんしては「わたしができる数少ないこと」のひとつなんですね。
それは過去の経験から、自分自身がいちばんよくわかっています。
また自分なりにブログを育てる目的もありますから、ブログ更新をすることは長い目で見たら立派な投資なんですね。
だからこそ更新する価値があるし意義がある。
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とはいえ、やはり人間、楽しいことでなければつづきません。
たとえその先に価値あるものがあったとしても、自分が楽しくないことを長くつづけるのは、苦行以外のなにものでもありません。
ましてやブログ更新なんて、土を耕す作業のごとく、ほんとうに地道な作業ですし、その先にたしかな果実が実るかどうかもわからない。
そんな状態のなかでブログ更新をしていくわけですから、少なくとも自分のなかに楽しい気持ちがなければ、ブログを育てるなんて作業はできるものではありません。
やっぱり大事なのは「やってて自分が楽しいか?」なんですよね。
それこそ投資だってそうです。
常に損するリスクと背中合わせなわけですからね。
投資そのものが楽しい(≒好き)という気持ちがなければ、とてもつづけられるものではありません。
たとえどんなことでも、他者からみて「なんであのひとは、あんなことをするんだろう?(できるんだろう?)」と思うことは、本人にとっては苦難もふくめて「楽しいこと」なんです。
だからつづく。つづけられる。
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わたしにとってブログを更新することは「楽しいこと」です。
もちろん文章を書くことや音声を吹き込むことがめんどくさい日もありますし、内容によっては産みの苦しみを味わうこともあります。
そうした挫折で頓挫した企画も過去には山のようにあります。
ですが中身やカタチを変えても「ブログを更新すること」はつづいてる。
厳密にいえば数年のブランクはあるけれども、それでもあたまのどこかで「そろそろブログ更新を再開したい」という想いはあったし、完全にブログをやめるつもりもなかった。
言ってみれば、長い人生のなかでのちょっとした小休止。
ロングバケーションだったわけです。
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繰り返しますが、どんなことでも楽しくないことはつづきません。
苦楽をふくめて「自分が楽しい」と思えることだからこそ、長くつづけることができる。
また「長くつづける(一生つづく)」という過程には、「(ときと場合によっては)一時的に休む期間がある」こともふくまれる。
むしろほんとうに自分が楽しいことって、一時的にそのことから離れても、ふたたびそこに戻ってくることなのかもしれません。
そしてそれは恋愛をふくめた人間関係全般にもいえること・・・なのかもしれません。